六月某日。
カレンダーとにらめっこを始めて一体何日が経過しただろう。
(えーと、九日まではあと……)
わかっていつつも、つい指で辿ってしまう。
六月九日は和希の誕生日。
はぐらかされ続けて未だに年齢はわからないままだ。
(まったく…いい加減に教えてくれたっていいのにさ)
毎回繰り返される年齢についての会話を思い出し啓太は頬を膨らませる。
そしてまたカレンダーを見つめて、違う違うと首を振った。
(そう、誕生日だった)
数日に控えた和希の誕生日。
『啓太』
声と表情を思い出してどきりとする。
いつも通りの優しい笑顔で、でもその瞳の奥には確かに欲も秘めていて。
(うわっ、俺なにを…っ)
先程よりもいっそう激しく頭を振った。
熱をどうにかして追い出そうとする。
「うぅ……」
あれは啓太の誕生日。
和希にはたくさん祝ってもらった。
一日中ずっと一緒にいて、恥ずかしいくらいの愛の言葉を囁いてもらって、それから……。
それから――。
「…………」
触れ合い、一つに溶け合って。
約束をもらった。
『啓太が欲しい』
(俺が欲しいって…やっぱりそういうこと…なのかな?)
頬が赤く染まる。
身体が熱い。
(でもあれからも普通に…しちゃってるし…それってプレゼントになるのかな?)
啓太は頭を抱えた。
刻一刻と迫りくる和希の誕生日。
期待と不安、緊張と恥ずかしさで啓太はいっぱいだった。
はぁ。
「啓太、さっきからため息ばかりついているな…どうした?」
「西園寺さん…」
会計室でお茶を飲んでいるときに西園寺に指摘されて啓太は苦笑いした。
「すみません。えと、俺…そんなに顔に出てましたか?」
「あぁ」
「でもとても悩ましげでしたね。もしかして遠藤君絡みですか?」
「しっ、七条さんどーしてわかったんですかっ!?」
「おやおや…」
「……またか」
顔を見合わせる二人。
「あっ」
啓太は真っ赤になって縮こまった。
「…すみません」
「それで…今度はどうしたんだ?」
「別にどうもしません……ただ、その」
視線で先を促す西園寺。
啓太はおずおずと口を開いた。
「もうすぐ和希の誕生日なんです……だから」
「何をプレゼントしようか悩んでいるんですね?」
「……はい」
七条の言葉に啓太は少し間を置いて頷く。
プレゼントは指定されているのだから悩む必要もないのだが、でもやっぱりまだ迷っているのも事実だ。
「それは悩む必要もないだろう」
「え? どうしてですか?」
西園寺は至極当然という表情で言った。
あっさりと。
「奴の欲しいものと言えば啓太しかないだろう」
「そうですよね」
頷く七条。
「……っ! そ、それは……その…もう和希にも言われたんですけど…でもっ」
「……言われたのか」
「あぁ本当に欲望に忠実な人ですねぇ、遠藤君は」
やや呆れ顔の二人。
(ごめん、和希…)
自分の迂闊さに啓太は心の中で手を合わせた。
「遠藤自身にも希望されたのなら何を悩む必要がある?」
「……俺が欲しいって言われても…その…俺は元から和希の…だし…そういうことは…えっと…」
「欲望に忠実な遠藤君に頻繁に手を出されている伊藤君としては今更ではないのかってことですよね」
「…しっ、七条さんっ」
にこにことそれはもう楽しそうな笑顔でさらっとすごい事言わないで欲しいと啓太は思った。
いや勿論こんなことを話している自分が一番悪い。
「いっ、今更っていうのもありますけど…他にも何か和希が喜ぶようなものをあげられたらなぁと思って」
でも相手は大人で、自分は子供で。
金銭的なことには限界がある。しかも和希は大抵のものは自分で買える。
手作りも考えたがおそらく和希のほうが何倍も器用だ。
「……俺だけ、なんて……何だか物足りなくないですか?」
頬を染めて上目遣いでこんなことを本気で尋ねる啓太を可愛いと思わない奴がいるだろうか。
ここに和希がいたら場所もわきまえずに押し倒しそうだと二人は思った。
「…………」
「そういうことなら伊藤君にオススメのものがありますよ?」
「なっ、なんですかっ?」
期待に満ち満ちた眼差しの啓太。
西園寺は見慣れた幼なじみのくせのある胡散臭い笑顔に、またおかしなことを考えてるなとピンと来た。
七条は「ちょっと待っててくださいね」と言い置いてごそごそと棚からある袋取り出す。
「先日買出しの際、街で手に入れたものなんですけどね…」
「?」
手渡された袋を開けた啓太が固まる。
「……あの…七条さん、これって?」
啓太の手に乗せたまま開いた袋に手を突っ込み、七条がその物体を取り出す。
ふさふさとした感触。
「ネコ耳です。オプションで尻尾もついてますよv」
「……」
「……臣」
「おや? イヌかウサギのほうが良かったでしょうか?」
「そういう問題じゃない。色々と突っ込みたいことは多いが…まずどうしてネコ耳を啓太に勧める?」
西園寺の問いに七条はにっこりと笑った。
それはそれは楽しげに。
「だって似合うじゃないですか」
未だ袋を抱えたまま硬直状態の啓太に装着させる。
「ホラ、可愛いでしょう?」
「……」
西園寺は何も言えなかった。
確かに似合っている。
ぴこんと揺れ動くあり得ないそれが、潤んだ瞳と上気した頬とマッチしている。
「可愛くなんかないです!」
やっと我に返って抗議する啓太だが、それさえも愛らしく見えてしまう。
「大体、コレのどこがオススメなんですか!」
「おや? 遠藤君は喜ぶと思いますよ?」
「え…っ」
和希の名前を出されて、啓太はぴたりと止まる。
「コスプレ好きの遠藤君のことですからね…たまにはこんなプレイもいいかと思うんですよ」
「…………」
和希のコスプレ好きについてははっきりと否定できない。
なにせ前科がある。いろいろな事情があるとは言え本人は今も尚、学生の振りをしているわけだし。
百歩譲って学生の振りはコスプレではない、としよう。一応。
学園内を捜査する目的があったのだから仕方なかったのだ。…多分。
けれど啓太の脳裏には、ウェディングドレスを転校二日目に強引に着せられたことや…ウサギの着ぐるみを勧められた苦い思い出がよぎる。
「ネコ耳以外にも伊藤君が気になるならいくつか用意しますよ? メイド服とかセーラー服とかナース服とか…」
「…いやそれはいいです」
うなだれる啓太と一緒にネコ耳もぴこんと揺れる。
そこへ。
――コンコン。
「遠藤です。失礼しまーす」
がちゃりと開いたドア。
「!?」
「あ」
顔を見合わせる二人。
「……啓太?」
「かっ、和希…あの、こっ、これはっ」
ネコ耳をつけたままうろたえる啓太。
「啓太!」
「って、わあぁぁあっ!」
ぎゅーっと抱きしめられる。
頬ずりまでされた。
「…あ、の…苦しいんだけど?」
もがくが抜け出せない。
「可愛いでしょう?」
「…これはもしかしなくても七条さんの仕業ですか?」
七条はふふと笑って肯定する。
「啓太のこの姿を見れたのは嬉しいですけど…勝手に俺の啓太で遊ばないでください」
「………」
やっぱり嬉しいんだ、と啓太は心の中で泣きそうになった。
一瞬、当日に我慢してコスプレしてみようかとも思ったがすぐに激しく却下する。
(ダメだ、和希のコスプレ好きを増長させちゃ…そのうちまたすごいの着せられちゃうかもしれない…だから絶対ダメだ)
和希の腕の中で啓太の悩みは振り出しに戻ったのだった。
ここ数日、啓太の様子がおかしい。
いや、おかしいと言うよりむしろ……。
可愛い、のだ。
「けーいたっ」
「わぁっ!」
仕事が終わり教室に戻る途中に廊下を歩く啓太を見つけて、そっと背後に近づきもたれかかるように後ろから抱きつく。
よくやるスキンシップの一つ。
「かっ、和希!?」
ぴくんと硬直する身体。
「あれ、そんなにびっくりしたか?」
「え、う…うん。ちょっと…な」
よく見ると耳まで赤い。
「?」
いつも通りに触れただけなのに過敏に反応したり、見つめると少し頬を染めて俯いたり。
最初は自分が何かしたかなと不安にもなったが、どうやら悪いものではないらしい。
啓太の表情や態度を見てそれはわかった。
そのことに気がついてから、それとなく観察してみると……。
やはり可愛い。
「ん、啓太…俺の顔になんかついてる?」
「えっ! ううんっ、なっ、なんでっ?」
「だってさっきからずっと俺のこと見てただろ?」
「そっ、そんなこと…ないって」
「そうかー?」
「……そ、そうだよっ」
一緒にいるときに啓太が自分のことをじーっと見つめていたり、かと思うと慌てて目を逸らして真っ赤になったり。
「啓太」
「……っ」
時々、誘われてるんじゃないかと勘違いしてしまうほどにそれはもう可愛いのだ。
「かっ、和希!? ちょっ、いきなり…っ」
「うん。ごめん…啓太が可愛くて俺…我慢出来そうもない」
「え、や…っ、ちょっと待て…ってば! あっ」
「待てない」
「和…っ、んんっ!」
「啓太、可愛いよ」
だから、つい我慢できずに抱きしめたり押し倒したりを何度も繰り返してしまった。
ここ数日見ていて思ったこと。
啓太は何かを聞きたそうな眼差しをしているのだが、逡巡しているようだ。
そして、なぜかかなり意識されているらしい。
今月に入ってそれが顕著になり、ようやくその理由がわかった。
啓太がやたらカレンダーの日付を気にしているので、ああ成程なと理解し、それからはよりいっそう啓太が可愛く思えて仕方ない。
(誕生日、か)
九日は自分の誕生日。
啓太は勿論その事を知っているし、先月の啓太の誕生日には既に欲しいものを告げてある。
『啓太が欲しい』
おそらくこの言葉が啓太をここまで意識させることになったのだろう。
そう言えば、啓太が過剰に自分のことを意識し始めたのは先月五日、啓太の誕生日以降だった。
(まったく…そんなに構えなくてもいいのに)
とは思いつつも、この反応を見続けていたくて…まだ気づかない振りをしている。
今の状態だけでも充分なプレゼントになってるんじゃないだろうか。
先月からずっと、啓太の頭の中が自分のことだけでいっぱいになっているかと思うとそれだけで嬉しくなる。
「七条さん」
「はい、なんでしょう?」
「なんで啓太にネコ耳なんかつけたんですか?」
「ふふ、それは内緒です」
「遠藤……お前もわかっていて聞くな」
「それは一体どういう意味ですか、西園寺さん」
聡い二人がニヤリと笑う。
「大人は腹黒いですねぇ、郁」
「まったくだな、臣」
「……」
「伊藤君も大変ですね」
「あぁ。だがそれもあと数日で終わるだろう」
「十日の日はやはり伊藤君は欠席でしょうか…可哀想に」
「……」
どうやら啓太のわかりやすすぎる反応は周囲にまで及んでいるようだ。
……さすがにネコ耳をつけた啓太を見たときは驚かされたが、ものすごく貴重なものを見られたので今回は会計の二人にも感謝の念は抱いておこうと思う。
ちなみに詳細は割愛するが、学生会室でも会計室と同様(それ以上に嫌味)なやりとりが繰り広げられたのは言うまでもない。
啓太は寮長の篠宮やら他の人間にも相談を持ち掛けている様だった。というか、啓太を心配した彼らが自ら相談に乗っているのだろう。
純粋で優しくてお人好しで、一緒にいると温かな気持ちになれる。
他の人間も自分同様に、そんな彼を好ましいと感じるのだろう。
啓太を認めてもらうのは自分を認めてもらうよりも遥かに嬉しい。
だから自分以外の誰かと親しくする様子は微笑ましく映るときもあるけれど、内心は大人気なく嫉妬してばかりだ。
大切で、いとおしい啓太。
でもせっかく啓太が自分のために何かを考え行動しているのだから、妨げたくはない。
九日までの数日間、和希は嬉しい反面複雑な胸中だった。
なんにせよ、ここまで自分の誕生日が待ち遠しいと思ったのはきっと初めてだろう。
そうして、やっと当日を迎える。