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イ・ジ・ワ・ル ―丹羽編―

3.
 夕食時の食堂にて。
「丹羽」
「え、郁ちゃん?」
 珍しいことに西園寺が自分から話し掛けてきた。隣には勿論七条がいる。
「お前、一体何をしでかしたんだ?」
「は?」
「とぼけるな、遠藤…いや違うか…啓太に何かしたんだろう?」
「えっ! な、なんで郁ちゃんが…んなこと知ってんだよ!?」
「やはり…か」
 ふぅと嘆息する西園寺。隣に立っていた七条がにこやかに口を開いた。
「さっき遠藤君が会計室に来て、僕にあるものの使用許可を求めたんですよ」
「遠藤が…あるもの?」
 首を傾げる丹羽に西園寺が促す。
「丹羽、一体啓太に何をしたんだ? 話せ」
「何をって言うか…未遂なんだけどよー…」
 そこで丹羽は、さっきの経緯を西園寺達に説明した。中嶋に唆されて啓太に手を出そうとしたが出来なかったことを。
「…なるほど、な」
「おやおや…丹羽会長ともあろう方が、そんなろくでもない人のろくでもない計画に乗るなんて…いけませんね」
「あぁもうわかってらぁっ! 俺だって悪かったと思ってんだよ! つい魔がさしちまったんだ」
「…自業自得だな」
「そうですね。若干の同情の余地はありますが…仕方ないでしょう」
「う…っ」
 西園寺はそこで笑みを浮かべた。
「丹羽、お前達の着眼点は間違っていないが…相手が悪い。手を出すなら相応の覚悟がいるぞ。あいつも相当嫉妬深いからな」
「本当に大人げない大人ですからねぇ」
「ところで西園寺」
 それまで無言で一人食事を続けていた中嶋が初めて口を開いた。
「なんだ、中嶋」
「遠藤は何の使用許可を取りに来たんだ?」
「…明日になれば嫌でもわかるだろう」
「見物ですねぇ、郁」
「あぁ、楽しみだ」
「か、郁ちゃん…七条…お前ら」
 引き攣る丹羽を笑いながら、二人は上機嫌で去って行った。
「何なんだよ…一体アイツは何を企んでやがるんだ…?」
 七条の所へ行ったという時点で丹羽の脳裏には一瞬だけ嫌な予感が過ぎった。
「さぁな。ま、あの口ぶりから明日になれば嫌でもわかるだろう」
「ヒデ…テメェな」
 そもそもの元凶がどの面下げて言うかと丹羽が物凄い形相で睨む。
 だが中嶋はまったく気にせず箸を置き茶を啜っていた。
「丹羽、俺は初めに言ったはずだが? 実行後は自分で切り抜けろ、と」
「そ、そうだけどよ…」
「この場合誰が悪い?」
「…………俺」
 口にした後すぐに雄叫びを上げて立ち上がった。
「だぁぁぁっ! そうさ! 俺が全部悪ぃんだよ! 矢でも鉄砲でも持ってきやがれ!」
「やかましい」
 一体何事かとざわつく食堂。
 離れた席でその様子を見た西園寺達は食事を取りながらひそかに笑っていたのだった。


 同時刻、BL学園内サーバー棟最上階の理事長室にて。
「あぁ…あれが原因だったんですか…え? 世話してるときに死にかけたらしい? あはは…大袈裟だなぁ」
 夜の帳はとっくに下りているのだがあえて電気はつけずにいる。
 月明かりの中、理事長である自分の為に設えてある重厚な机の上に和希は腰掛けていた。
 上半身は裸で制服のシャツだけを軽く羽織っている。すぐ側の大きめの来客用ソファには疲れ果てた啓太が毛布に包まり眠っていた。その安らかな寝顔に目を細めつつ、手にしていた受話器を肩と耳に挟み机の引きだしにある煙草に手を伸ばそうとしたが、止めた。
「…へぇ、ショック療法を試そうと哲也君の部屋に…え、そんなに入れたんですか?」
 通話の相手は警視庁公安にいる丹羽の父親だ。アメリカに留学していたときに自分の護衛をしていたこともあり、その縁で今もこうして付き合いがある。
「で、尚更嫌いになった、と?」
 和希は苦笑した。
 そして。
「俺も哲也君にショック療法とやらを試してみたいんですが…構いませんか?」
 すると受話器の向こうからは豪快な笑い声が聞こえて来た。
「どうも俺は彼には怨まれてるみたいですよ? 今まで正体隠してたこと…まだ怒っているみたいで…」
 つと口端を上げ、静かに笑う。
「ま、彼もよくやってくれてますよ。貴方によく似てる…将来が楽しみです」
 視線の先、ソファで啓太が寝返りを打った。
 そろそろ目覚める頃かと机から腰を上げる。
「久しぶりに貴方と話せて楽しかったです。では、また…」
 仕事上、必要なことを告げた後にピ、とボタンを押し通話を終わらせた。受話器を置き、ゆっくりとソファに近づく。
 健やかに眠る啓太の乱れた前髪をそっと長い指で梳いてやる。
 そのまま頬に触れた。
「ん…」
 うっすらと目が開く。
 和希はソファの端に腰掛け、目を細めながら頬や髪を撫でた。
「おはよう、啓太」
 まだ寝ぼけてぼんやりしているのか、撫でられても啓太はされるがままだ。むしろ気持ち良さそうに目を閉じる。
 また眠っちゃうかもなと和希は苦笑しながら額に一つキスを落とした。
「和…希?」
「よく眠れた?」
 優しく尋ねる和希に、啓太はこくんと頷いた。
「……?」
 頷いて、辺りを見回して、身体にかけられた毛布と自分達の格好を見て、瞬時に真っ赤になった。
 やっと状況を察したらしい。
 慌てて上体を起こし、下半身の鈍い痛みに一瞬だけ顔を引き攣らせる。
「……っ」
 かけられていた毛布が滑り、白い肌がほのかな月明かりにさらされた。
「…大丈夫か?」
 少し心配そうに和希が顔を覗き込もうとする。
「~~っ」
 毛布をぎゅっと掴み、顔を伏せた啓太は顔を真っ赤にして唸った。
「全然、大丈夫じゃないっ!」
 恨めしそうに下から和希を睨むが、効果はなかった。むしろ楽しげだ。
「ちょっと…やりすぎた、かな?」
「ちょっとじゃない! うわ…外真っ暗…今何時なんだよっ?」
「九時過ぎ?」
 机の上のデジタル時計を見て告げると、啓太は慌てた。
「く、九時っ? 点呼まであと少しじゃないか! わぁっ、しかも食堂閉まっちゃった!」
 その慌てる様が可愛らしくて思わず笑ってしまう。
「かっ、和希っ!?」
「ごめんごめん、あんまり啓太が可愛いからつい…」
 ぽんぽんと頭を撫でてあやそうとしたが、啓太は頬を膨らませた。
「お前…全然悪いと思ってないだろ」
 ジト目で見ても相変わらずクスクス笑うばかりで効果はない。
「大体…今日の和希…なんかいつもより…しつこい。最初訳わかんないこと言ってたし」
「しつこいって何だよ…啓太だって途中から気持ち良さそうに俺にもっとってねだったくせに」
「ばっ、馬鹿!」
 最中のことまで一気に思いだし、真っ赤になって拳を固めた。
 だが突き出す前に手首を簡単に掴まれてしまう。
「それに俺はただ…啓太は隙が多いからいい加減に自覚しろって優しく諭してやっただけだろ?」
「どこが優しくだ!」
 啓太は即座に否定した。
「それに…隙が多いって…俺、別に何もされてないし…」
「…されそうになってたんだよ」
「…だから…それ和希の気のせいだろ?」
 きょとんとしている啓太に和希は、はぁぁと深くため息を付いた。
 掴んでいた腕を引き寄せて耳元で囁く。
「啓太…あんまり無自覚だともう一回ヤっちゃうぞ?」
「な…っ、なんでそうなるんだよ!」
 学生会室を出てすぐこの理事長室まで連れて来られ、そのまま押し倒された。普段よりもずっと執拗な愛撫に啓太は何度も翻弄された。
 それこそ今まで寝入ってしまうくらいに。
「絶対っダメだからな! 早く寮に戻らなきゃ点呼にだって間に合わなくなるだろ!?」
「んー…そうか、また篠宮さんに怒られるのは嫌だしなぁ」
 そう言いながらも名残惜しそうに啓太の髪に口づけた。
「ん…そうだよ…っ」
 髪から耳や瞼や額、頬に啄むようにキスが降る。
「…っ! こらっ!」
 このままだとまた調子に乗りそうだったので、握っていた毛布を離して和希の頬をつねった。
「いたたたっ! わかったから、啓太!」
 パッと手を離して啓太はきょろきょろと辺りを見回した。
「…和希…俺の制服…どこ?」
「さぁ?」
 しらじらしく惚ける和希に、啓太は今度は殴るべきかつねるべきか蹴るべきか本気で悩んだ。
「か~ず~き~っ」
 今日は本当にタチが悪いような気がする。
 隙が多いとかぼけっとしてるとか確かに時々言われてはいるが、でも別に自分が悪いことをした訳でもない。
 啓太は毛布を顔まで上げ、身体の向きを変えた。
「俺もう知らないからな!」
 芋虫みたいに毛布に包まった啓太を見て和希は指で頬をかいた。
 少々やりすぎたらしい。
 軽く体重をかけ、毛布ごとふわりと抱き締める。わずかに覗いているくせっ毛を撫でた。
「啓太ー…」
 啓太はもぞもぞと頭を引っ込めようとする。
 怒っているのだろうが、仕種も何もかもが愛おしく思えて仕方ない。
「啓太…ごめんってば」
「……」
 きっと今頃は毛布の中で頬を膨らませてるんだろうななんて苦笑しながら優しく話し掛ける。
「制服は…上着だけクリーニングに出しておいたんだよ。アレじゃすぐには着れないだろ? 他のはあっちの椅子にかけてあるからさ。意地悪したことは謝るから出ておいで」
 少しずつ頭が動いて、毛布から顔を覗かせた。
 頬がまだ少し赤い。
 目線は逸らしたまま、口を開き小さな声で言った。
「…………ありがと」
 怒っていた手前気まずそうに目を伏せながらも礼を言う。
 闇の中、和希はひそやかに笑った。
 啓太のその素直さと義理堅さを逆手に取るような言い方を選んでしまえる自分はかなり意地悪な人間だろうなと思う。
 しかも。
「ん? 何が?」
 何に対しての礼なのか、わかっているのについ聞き返してしまう。
 それ以上の反応が見たくて。
「だから…上着…」
 啓太は口ごもりながら恥ずかしいのか毛布を顔の前に上げようとする。
「上着がどうかした?」
 その毛布を手で阻んで、顔を近づけ囁く。
「ん?」
「…その…わざわざ…クリーニングに…出してくれて……ありがとって」
「どう致しまして」
 にっこりと微笑んで、そのまま額にキスをする。わざとチュッと軽く音を立てて。
「かっ、和…っ」
 いっそう赤くなる啓太に愛しさが増す。
 毛布の隙間にうまく片手を滑らせた。
 掌が、指が、温かな肌にたどり着く。
「あ…っ」
 反射的に声を上げ、ぴくんとのけ反る啓太。
 和希はその反応を見て口端を上げながら脇腹から胸への愛撫を続けた。
 快感を少しずつ煽るように。
「んっ、や…っ」
 必死に拒もうとするが、身体は正直だ。
「ん、啓太…嫌なんだ?」
 毛布に覆われた肢体が悩ましげに揺れていた。
 その指が快感に耐えるように毛布をぎゅっと掴んでいる。
「だ…から…っ! もう…点呼が…あぁっ!」
 和希の指が的確に、尖りきった胸の突起を弾き、摘んだのだ。
 しばらくそれを弄ぶ。
 執拗に。
「やぁ…っ!」
 啓太の目が潤む。
 眠ることで一度引いたはずなのに、身体が再び熱を帯びていく。
「啓太…今すごくいい顔してる」
「しっ、してな…っ」
「ふぅん?」
 にやりと笑みを浮かべて、もう片方の手が毛布を無理矢理剥ぎ取った。
「…っ!」
 啓太は羞恥で真っ赤になって目を閉じた。
 暴かれれば、それは一目瞭然で。
「…こんなに感じてるのに?」
 煽った張本人がわざとらしく、楽しげに言った。
「誰の…せいだよ…っ! ばかっ」
「啓太だろ?」
「なっ」
 ギシ、とソファが軋む。
 和希が啓太の身体の上にのしかかった。
「なんで俺のせいなんだよっ」
「啓太が俺を誘惑するからだろ?」
「どっちが!?」
「だから啓太が」
「和希だろっ!?」
 潤んだ瞳が暗闇の中できらきら光る。
 夾雑物のない透明な瞳。
 昔から変わらぬ純粋なそれに和希は無性に焦がれた。
「啓太だよ」
 その目を覗き込み、ゆっくりと強調する。
「違っ…んんっ!」
 反論しようとした啓太の口を自らの唇を重ねて強引に封じた。
「ぁ…っ! ん…っ」
 抵抗を試みる啓太の身体に体重をかけ、顎を固定して甘い唇を繰り返し貧る。
 呼吸に苦しんで薄く開いたのを見計らって、舌を咥内に侵入させた。
「ふぁ…っ、はぁ…」
 啓太の腕が和希の背に回る。シャツの上から爪を立て、堪えきれずに掻きむしった。
「んん…っ」
 存分に味わって、和希は微笑を浮かべながら唇を離す。
 二人を銀色の糸が繋いでいた。
「…啓太」
「……ん、なに?」
「あと十分で点呼だけど…帰りたい?」
「……っ」
 和希は悪戯が成功した子供のように笑っている。
 今の啓太の状態を知り尽くした上での言葉に啓太は上目遣いで睨んだが、これでも和希には効果がないと諦めた。
「はぁ…も、いい」
「ふぅん? いいんだ?」
「いいよ、もう。和希だって帰る気ないくせに」
「急げば間に合うかもよ?」
「……俺、多分…走れない…いや違う…立てないと思う」
 寝入るまで和希に散々抱かれたことを思いだし啓太は赤くなった。
「そりゃあ…立てないよな」
「だから一体誰のせいだと思ってんだよっ!」
「ごめんごめんっ」
「……」
 全然反省なんてしてなさそうな和希を啓太は軽く睨む。
 はぁぁと溜息をつきながら毛布を身体に引き寄せた。
「あーぁ…夕飯食べそこなっちゃうし…篠宮さんには怒られるの決定だし…このままだと明日だって起きられるかわかんないし…全部和希のせいだからな」
 指折り数えて言ってみたが、本気で責める気はもうない。
 それがわかっているのか和希は微笑を浮かべながら顔を寄せた。
「…悪い」
 囁いたあと、そっと唇を重ねる。
 浅く、深く繰り返し。
「ん…っ」
 啓太は自分から和希の首に手を回して、更に求めた。
 優しいキスが心地良い。
 もっと欲しいと思う気持ちと同じだけ、いやそれ以上に、自分の中にある好きという想いを伝えたくて。
「……」
 互いの唇が離れる瞬間はとても名残惜しくて、胸の奥がきゅっと痛む。
 啓太はそっと目を開けた。
 と同時にぐいと抱き寄せられる。
「啓太…愛してる」
 耳元で熱っぽく囁く和希の声に酔ってしまいそうだ。
 夢心地のまま頷く。
「ん…俺も」
 胸元に頬を擦り寄せ、身を委ねた。
「俺も和希が…好き」
「啓太…」
 柔らかいソファに再び沈められていく。
 覆いかぶさってくる和希の腕の隙間から、羽織っていた白いシャツが肩を滑りひらりと落ちていくのがぼんやりと見えた。

 夜が更けていく……。



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