1.
ある昼休みの学生会室。
「だぁぁぁーっ!」
珍しく仕事中の丹羽が、突然たまった書類の上に拳を固めて振り下ろす。雄叫びとともに。
「…うるさいぞ、丹羽」
その向かいで冷ややかに中嶋が丹羽を見つめた。
「どうした? 自分のせいでたまった書類に八つ当たりをするな」
「あー…違う違う、仕事は確かに面倒だが今のはそーじゃねぇんだ」
「じゃあなんだ?」
「いや、その…書類の理事長印を見たらつい…奴の憎たらしい顔を思い出してな」
「……遠藤か」
「……あぁ」
苦々しく丹羽が頷く。
BL学園一年在籍の遠藤和希、本名は鈴菱和希。特に目立たぬただの後輩だと思っていたこの男こそ、実は丹羽が学園に入学して以来探し続けていたBL学園の現理事長だった。
理事長自ら生徒の振りまでして学園に潜入していた理由も聞いたし、なかなか大変な事情のようだったから仕方ないなと納得はした。自分達も首を突っ込み学園内の膿も出せたから結果的にはよかったのだろう。
だがしかし。
「アイツ何でまだ学生やってやがんだよ!? 理事長って実は暇なのか!?」
「…まぁ理由は大方見当が付くがな」
叫ぶ丹羽とは対照的に冷静な中嶋。
「遠藤が学生をしている理由なんて一つしかないだろう」
「あぁ? 何か言ったかヒデ?」
「いや…。それより丹羽、理事長のことを思い出してどうする?」
「どーにも出来ねぇからムカつくんだろ!? あぁ一発殴りてぇ! 殴れなくてもいいから奴の鼻を明かしてぇ!」
「…なんだ、そんなことか」
「あぁ!? そんなことかって…中嶋お前な!」
「奴の弱点ならわかっているんだから鼻を明かすぐらい簡単だろう?」
「は? 弱点って?」
その時、廊下を走る誰かの足音が聞こえてきた。
「…ホラ、最大の弱点が来たぞ」
「?」
丹羽が首を傾げた。
コンコンっとノック音がしてドアが開く。
「こんにちはー」
挨拶とともにひょこっと顔を出したのは、先日転校して来た学園MVP、一年の伊藤啓太だった。礼儀正しく素直で性格もいいので、丹羽も気に入っている。
「啓太…っ?」
「はい? あっ、王様珍しく仕事してるんですね。よかったですね、中嶋さん」
「あぁ」
「珍しくって…啓太お前なー…」
顔をしかめた丹羽を見て啓太が笑いながら「すみません、王様」と言う。
そこで、丹羽はハッとした。
中嶋はニヤリと不敵に笑っている。その企み顔で中嶋が何を言いたいのか丹羽は理解した。
伊藤啓太という人物。
これが、遠藤和希=理事長の最大の弱点。
「中嶋さん、今日の放課後はお手伝いした方がいいですか? 王様がいるなら俺いなくても大丈夫かな?」
「いや、コイツがいつ抜け出すかわからないからな。人手はあった方がいい」
「あ、はい、わかりました」
「今日は遠藤も来るのか?」
「…和希は…さっき、その…例の仕事に行ったので…放課後までに戻ってくるかどうか…」
「そうか、わかった」
無表情で頷く中嶋。
「じゃあまた放課後に」
「…あぁ」
ぺこっと会釈をしドアを閉め、啓太はパタパタと走り去って行った。
再び二人きりになった学生会室。沈黙を破ったのは丹羽だ。
「弱点って…啓太?」
「奴にあれ以上の弱点はないだろう」
「いや確かにそーだろーけどよ…啓太をどーこーするってのは…」
「丹羽」
反論しようとした丹羽の言葉を中嶋が遮る。
「よく考えてみろ。敵は俺達よりずっと駆け引きに長けた大人だ。何せお前が三年かけても正体がわからなかった相手なんだからな。そんなくせ者相手に正面から攻めて勝ち目があると?」
「う…っ、確かに」
「相手の弱点がわかっているならそこを攻めるのは基本だろう?」
不本意だが一理ある。
追い討ちを掛けるように中嶋は意地悪く笑った。
「奴の鼻を明かしたいんだろう? このままだと何もできずに卒業だな」
「……っ!」
言葉に詰まる。
しばしの沈黙の後、丹羽は決意したように顔を上げた。
「…具体的にどうすればいいと思う、ヒデ?」
「…フッ、そうだな」
中嶋が眼鏡の端を持ち上げる。レンズの奥の目がキラリと光ったような気がした。
「実行するのがお前だからな…大したことは出来まい」
「大したことって…お前、啓太に一体何する気だったんだ?」
「それは…色々とな」
ニヤリと笑う中嶋。これ以上聞いてはいけないと丹羽は本能で悟った。
作戦を授ける直前、中嶋が一言付け加える。
「ちなみに…これを実行した後どうなるかまでは知らん。自分で切り抜けろよ、丹羽」
「…は?」
疑問譜を浮かべる丹羽。
それからすぐ中嶋は丹羽の疑問には答えず、打倒遠藤の作戦を伝授した。
中嶋の真の思惑にも気付かず一時的な感情に流され、後々のことまで深く考えなかったことを丹羽は激しく後悔することになるのだった…。
2.
放課後。
珍しく丹羽が黙々と仕事をしている。
(いや…そうでもないかな?)
啓太はコピーを取りながら首を傾げた。
丹羽が先程からチラチラとこちらを見ているような気がしたからだ。それだけではない。時々何か妙なことを口走っている。
(王様どうしたんだろ?)
更に不思議なのは、仕事が一向に捗っていないこの状況下で中嶋が注意一つもしないのだ。かと言って怒りの余り沈黙しているわけではないらしい。普段通りだ。むしろ機嫌は良さそうにも見えた。
「中嶋さん…王様どうしたんですか? 様子が変ですよ」
「…あぁ」
書類を渡すときに小声で中嶋に尋ねたが、クッと笑っただけだった。
「気にするな…単なる発情期だ」
「えっ…はぁ?」
意味がわからずに啓太はきょとんとする。
中嶋は手にした書類に目を通し、それを机の上に置いて楽しげに口を開いた。
「あぁそうだ、啓太…少し休憩にしよう。三人分のコーヒーを入れてもらえるか?」
「あ、はいっ」
啓太は更に戸惑った。丹羽があの状況なのに休憩にしようとは本当に中嶋はどうしてしまったのだろう。そして丹羽もやはり変だ。
しかし険悪な空気よりは遥かにマシなので啓太も割り切る事にした。
(これで王様が仕事してくれたら言う事無いんだけどなぁ…)
コーヒーを三人分入れ、お盆に乗せて二人の元に運ぶ。
中嶋にカップを手渡してから、啓太はさっきから一人で何かブツブツ言っている丹羽の所へ向かう。
「王様?」
「……」
返事が無い。
さっきまではチラチラ見ていたくせに今は俯いたままだ。
少し心配になって、啓太は顔を近づけて丹羽の顔を覗き込んだ。
「王様? …王様ってば!」
「…あ?」
顔を上げた丹羽が突然、間近で啓太を見た瞬間。
「どわぁぁぁぁっ!」
真っ赤になって叫んだ。
「わぁっ!」
いきなりのことに啓太も驚く。立ち上がった丹羽を避けようとしたら、お盆を持ったままのけ反ってしまった。
「わわっ!?」
二人分のコーヒーがひっくり返る。
バシャ…ッ。
「熱っ!」
「啓太っ!?」
啓太の上半身にコーヒーがかかる。ハッとした丹羽が慌てて駆け寄った。
「大丈夫か!」
「…はい、何とか」
「悪ぃ…こりゃあ上着は脱いだ方がいいな」
「そうですね…よかった~ブラックで。砂糖入れてたら上着がベタベタになるところでしたよ」
幸いコーヒーもほとんどがブレザーにかかったのであまり熱くない。
啓太は濡れた上着を脱いでパイプ椅子の背に掛けた。
中嶋が無言でタオルを丹羽に放る。
「啓太、火傷なんかしてねぇか?」
「ん…と、大丈夫だと思いますよ」
「シャツまで飛んじまったな。ホントにすまねぇ!」
そう詫びながらも丹羽がタオルでガシガシと啓太の髪やら腕やらシャツやらに飛び散ったコーヒーを拭う。
「王様…そんなに気にしないでください」
一応ネクタイを外し、啓太もシャツがどれくらい濡れたかを確認してみた。
(これくらいなら平気かな?)
そう思ったときだった。
「ん? 啓太…そこ赤くなってるぞ」
「え?」
「やっぱ火傷してんじゃねぇか…」
「えっ、どこですか?」
「ここだよ、ホラ…首んトコに一つ…ん? 他にもいくつか…」
丹羽に指差されて、啓太はその箇所を見た。
「!?」
瞬時に真っ赤になって、首筋を手で覆い啓太は後ずさった。
「おい…どうした?」
「あぁっ、こ、これ平気です! 火傷じゃありませんからっ!」
わたわたと慌てる啓太を丹羽が不思議そうに訝しむ。
「そうかー? でも一応冷やした方がいいと思うぞ?」
一歩前に出る丹羽。
反射的に後ずさる啓太。
そして。
「俺が冷やしてやろう」
「え!?」
いつの間にか背後に中嶋が立っていた。ニヤリと笑みを浮かべている。
「今は痛みは無くても軽い火傷かもしれないだろう? 応急処置はして置いた方がいい」
「やっぱそうだよな?」
「ちょっ、待ってください!」
丹羽がシャツのボタンに手を掛ける。啓太は外させないように必死に両手で胸元を押さえた。
(中嶋さん、絶対これが何かわかってる!)
あの企み顔を見た瞬間、啓太は悟っていた。
(わーっ、どうしよう!?)
赤い、キスの痕。
首筋は昼休みの別れ際に、胸元はおそらく昨夜の最中につけられたものだ。
「俺、自分でやりますからっ!」
「遠慮するな」
「そうだぜ、啓太」
長身の二人に挟まれ啓太は為す術が無い。
その時。
コンコン、と規則正しいノック音が二回。
(この音…和希っ?)
天の助けとドアを見る。
「失礼しまーす」
声の主はやはり和希。
ガチャとドアが開いた瞬間。
(あれ…? 中嶋さん何やって?)
真後ろにいたはずの中嶋が今度は丹羽の背後に回り込んでいた。
そして。
「!」
啓太には中嶋の長い足が高速で繰り出されるのが辛うじて見えた。
丹羽の背中に向かって。
「だぁっ」
「わぁーっ」
見事に炸裂した蹴りで丹羽の背が押され、そのまま前のめりに倒れ込んでくる。当然だが啓太には避け切れなかった。
「…っ」
丹羽が咄嗟に啓太の頭を抱え込む。
ガラガラ、ガッシャーン!
周囲のパイプ椅子やら机の上に置いていた文房具等を巻き込んで二人は盛大に床に転がった。
丹羽が慌てて腕の中の啓太の安否を確認する。
「大丈夫か、啓太!?」
「啓太…っ!?」
入ってきた途端の騒動に和希も駆け寄ってきた。
多少背中に衝撃はあったが、さほど痛みは無い。
「いたた…あ、俺平気です。王様が庇ってくれたから」
丹羽に上体を引き起こしてもらい、啓太は二人に笑いながら言った。
「王様こそ大丈夫ですか? 確か…背中に…」
中嶋の蹴りがと言いかけたところで、丹羽の顔付きが変わる。
「あぁ…そうなんだよな…テメっ、中嶋ぁっ! いきなり人の背中蹴りやがって!」
「…お前がなかなか実行に移せないみたいだから俺が後押ししてやったんだろう? 感謝こそすれ文句を言われる筋合いはないな」
「んだとコラぁ…っ!」
不敵に笑う中嶋と気色ばむ丹羽。
「あの…二人とも?」
いきなりの事態に啓太はハラハラしながら二人を見ていた。
「…せっかく人がお膳立てしてやったのにそのチャンスすら活かせないとは…呆れてものも言えないな、哲ちゃん?」
「お膳立てって…背中を蹴るのとどう関係あるって…」
「あのまま顔面激突でもしておけば手っ取り早かったんだがな。大体、会計部の女王様が相手なら平気でしつこく絡めるくせに、相手が変わっただけでここまで使えない奴になるとはな…」
「…っ! うるせぇっ! 郁ちゃんとは全然違うだろーがよっ!」
周囲を無視して繰り広げられている言い争いに啓太は意味がわからずに座り込んだままぽかんとしていた。
「……」
啓太の傍らで和希は今のやり取りを無言で聞いていた。そして座り込んでいる啓太の格好を見る。
制服のシャツのボタンが上からいくつか外され、肌が露出していた。ほのかに残る赤い痕は勿論自分がつけたものだ。啓太のものらしいジャケットがパイプ椅子の下敷きになって、コーヒーカップが二つ転がっている。
何となくだが状況はわかってきた。
だがこの啓太の格好だけなら、襲われかけたように見えないことも無い。
当の本人は全く自覚していないが。
「なるほど…ね」
呟いて和希は自分の上着を脱いだ。
それを啓太の肩にかける。
「え、和希?」
「しばらくコレ着てろよ。啓太のジャケットは濡れてるんだろ?」
「えっ、いいよっ。そんなわざわざ…」
慌てて肩から上着を取ろうとする啓太の手を押さえ制止する。
「いいから」
口調はいつも通り穏やかだったが、有無を言わせぬ雰囲気だった。
「着てろ」
「…和希?」
和希は落ちているジャケットとネクタイを拾い、まだ状況を把握していない啓太の腕を引いて立たせる。
そして目の前で今も言い争いをしている丹羽と中嶋に声をかけた。
「お取り込み中のところ申し訳ありませんが…」
「あぁ!?」
「…なんだ?」
二人は同時に、不機嫌そうにこちらを見る。
だが和希は少しも怯まず穏やかに尋ねた。
「この騒ぎの目的は俺ですか?」
そこでやっと我に返った丹羽がぐっと言葉に詰まる。
「このやり口…王様にしては正攻法じゃないですね…発案者は貴方ですか、中嶋さん?」
和希の指摘に中嶋は腕を組みにやりと笑った。
「ほぅ…俺達が何をしようとしてたかわかったのか。さすがだな、遠藤」
「相手の弱点を突く…ま、基本と言えば基本ですがね」
「実行するのが丹羽だから、こんなお粗末な結末になったがな」
意味不明のやり取り、しかしそのどこか険悪な雰囲気に啓太が不安そうな眼差しを和希へ向けた。
「和希…あの?」
傍らからの不安げな声を聞き、和希の表情が柔らかなものへと変わる。
「ん、どうした?」
「いや…どうしたって…その…」
「啓太は何も心配しなくていいよ」
「え?」
意味を尋ねるより早く、頭を優しく撫でられた。
「実行したのが王様でよかったですよ。貴方だったら洒落になりませんからね」
「ま、俺ならもっと上手くやるな」
「…そうでしょうね」
悪びれもせずに言う中嶋の言葉に、ふぅと和希は嘆息した。
「実行が王様ならこちらの標的も王様でいいんですよね?」
「好きにしろ。コイツにもそれくらいの覚悟はあるだろう」
「…わかりました」
和希は「仕方ないなぁ」と肩を竦めながら不敵に笑った。
丹羽はその会話と和希の笑みに何となくだが嫌な予感がして声をかける。
「お、おい…遠藤?」
目の前にいる相手に違和感を覚えた。
すると。
「君がそんなにも私と遊びたかったなんて、ちっとも気付かなかったよ、丹羽哲也君?」
「……っ!」
表情も口調も雰囲気も、何もかもが変化する。
――遠藤和希から鈴菱和希へ。
そこにいるのは同じ人間のはずなのに、明らかに違うものに見えた。
単なる後輩ではなく、この学園を取り仕切る理事長。
啓太も和希の突然の変化に気付いて尚更戸惑う。
「あの…和希?」
無意識にきゅっと和希のシャツの袖を掴んだ。
「いきなりどうしたんだよ?」
「ん? 何が?」
「だって…」
心配そうに見つめる啓太の頭を撫でて、優しく微笑む。
「俺も教育者の端くれだからね。悪い子にはお仕置きしなくちゃいけないだろう?」
しかし口にする内容は果てしなく不穏だ。
「悪い子って…王様?」
「そう、だよね丹羽君?」
「……」
丹羽は憮然として顔を背けた。
和希はクスッと笑い、口端を上げる。
「君が私に対して憤っているのは知っているし、申し訳ないとも思うけど…このやり口はフェアじゃないね。大方、中嶋君の巧みな口車に乗ってしまったというところかな?」
「……わかってらぁっ」
「さすがに悪い事をした自覚はあるみたいだね。でも…」
そこでいっそうにこやかに和希は笑う。
「それ相応の報復はさせてもらうから」
「ちょっ和希…っ」
緊張感漂う雰囲気に耐え切れず啓太が両手でぎゅっと和希の腕を掴む。
「和希ってば!」
「何、啓太?」
「王様が一体何したか俺にはわかんないけどっ! 王様も反省してるんだからもうそれくらいで…」
自覚の無い被害者が必死に加害者を庇っている。
和希は深々とため息をついた。
「まったく…。啓太、自分が被害者だってこと全然わかってないだろ?」
「へ!? 俺?」
「…そう」
言われた啓太は目を丸くする。
「俺、王様には別に何もされてないぞ? コーヒーひっくり返したのは俺だし、倒れたときには庇ってもらったから怪我しなかったし…あ! シャツは脱がされそうになったけど変な意味でじゃ無いからな」
少し頬を染めて肩に羽織ったジャケットを掴む。
「俺が火傷したんじゃないかって心配してくれて…それで」
「はいはい…わかったよ。啓太には後でじっくり教えてやるからな」
「?」
「それから啓太、ここには一週間出入り禁止な」
「…は? なんで!?」
「なんででも。俺がいないときは女王様達にでも頼んでおくからな」
「相変わらず過保護だな、遠藤理事長?」
中嶋が面白そうに腕組みしながら笑った。
「そんな挑発には乗らないよ、中嶋君。明日からここは大変な事になるだろうからね…啓太をこき使われるのはごめんだし…」
一度言葉を切り、和希は傍らで不安そうに見つめている啓太に優しく笑いかける。
「それに…大事なものを守るのは当然のことだからね」
自分を見つめる瞳のあまりの愛情深さに啓太は目が逸らせ無くなってしまった。
「和…希?」
「さて、こんな危険な所に長居は無用だな。行くぞ、啓太」
「わわっ、いきなり引っ張るなよ!」
強引に啓太の手を取り、学生会室を後にしようとドアを開ける。
「あ、王様ー?」
振り向いた和希はもう普段の、遠藤和希に戻っていた。
「俺も同じ手段使いますから、楽しみにしててくださいね?」
――バタン。
ドアが閉まり、廊下からは二人の話し声がかすかに聞こえ、やがて遠ざかっていった。
「……」
「…どうやら地雷を踏んだようだな」
「……あぁ」
丹羽は中嶋から「啓太が絡むと遠藤は余裕が無くなるから、試しに軽く手を出してみろ」と言われていた。
なかなか実行できなかったのは丹羽が丹羽だからとしか言いようが無いだろう。
しかし遠藤和希という人間に一泡吹かせる為とは言え、啓太を利用しようとした事を丹羽は今更ながら悔いていた。
多少事故に巻き込んだが、何もしなくてよかったと思う。
「はぁ~…啓太には今度ちゃんと謝らなねぇとなー」
疲れたように椅子を引きドサッと腰掛ける。
「遠藤も…あれでちゃんと理事長なんだよな…」
「そうだな。実物の理事長を見る機会は滅多に無いからな。…珍しいものを見た」
中嶋は丹羽の会話に答えつつ、転がったカップや文房具等を拾い片付けていく。そしてこれからの事を想定してひそかに笑みを浮かべた。
(…さぁどう仕掛けてくる、遠藤理事長?)
丹羽の今後の災難はさておき、しばらくは退屈しなくて済みそうだなと物凄く迷惑で不穏な事を考えていたのだった。