「啓太~俺、アレやりたいな~」
街中を歩いていたら突然和希が立ち止まりにこやかな笑顔である建物を指差す。
それはどこにでもある娯楽施設なのだが……。
「アレ…って、カラオケ?」
ぽかんとして隣を見つめる。
「うん」
「お前、やったことあるのか?」
和希は学園内では啓太の同級生だが、それと同時に理事長でもある。
当然年上。悔しいことに実年齢は未だに不明だ。
「勿論ない」
「……いや、お前そんなはっきり言うなよ」
片手で額を押さえながら啓太は尋ねる。
「まったくもう…どうしたんだよ、急に?」
「いいから行こうぜ!」
「わっ、コラ!」
強引に腕を引っ張られて建物の中に入った。
簡単な受付は経験者(笑)の啓太がして、二人は平凡な個室に案内される。
「ふーん…カラオケってこんな感じなんだな」
注文したドリンクを置いて店員が部屋を出ていくなり感想を述べる和希に、啓太は先程口にした疑問をぶつけた。
「和希~いきなりカラオケやりたいなんて…一体どうしたんだよ?」
別にカラオケ自体は問題ではない。だがあまりに唐突過ぎる。
すると頬を指でかきながら和希は白状した。
「啓太が歌うの見てみたいな~なんて思ってさ」
「はぁ!? 何だよそれ」
ソファに腰掛けマイクを両手に抱え啓太は叫んだ。
「俺が歌うの見てみたいって…お前なぁ!」
「いやぁ…前に西園寺さんから言われたんだよ。啓太に目の前で歌ってもらった、いい声だって」
「!」
啓太は瞬時にその時のことを思い出した。
休日に会計室を訪れた時のことだ。
突然西園寺に「歌え」と言われ歌った。
あれは少し、いやかなり恥ずかしかったと思う。
「う……」
「自慢げに言われたんだよな。人が聞いてないからって…あの人は」
そんなことを拗ねた口調で言われても自分のせいではないと啓太は思う。
反論しようと思ったが、止めた。
(そうだ!)
いい考えを思いつき笑みを堪える。
(そうだよ! これなら和希に何か歌わせれば…年がわかるかも!)
啓太は内心不穏なことを考えていた。
考えが顔に出ないように努めて、和希の我が儘に応じる振りをするために嘆息する。
「もぉ仕方ないなぁ…」
入った以上、啓太が歌うまで和希は動かないだろう。転んでもただでは起きないようにせねばと啓太は強く決意する。
(今日こそは!)
内心の叫びとは裏腹に、啓太は渋々歌うことを了承した。
ただし条件を付けるのを忘れない。
「俺一人で歌っても楽しくないし、不公平だから…和希もちゃんと歌えよ?」
「んー…そうだな」
和希の態度に啓太も声のトーンを落として脅す。
「…歌わないなら明日の朝まで口利かない」
「わかった! わかったっ! 俺も歌えばいいんだな?」
さすがにこれには和希も即座に折れた。
啓太は満足そうに頷いてにっこり笑う。
「じゃあ先に歌ってるから、歌う曲決まったら教えろよ? 俺が入力してやるから」
ゲーセンの時もだが、啓太はちょっとだけ優越感に浸れた。
和希に教えてあげられることがあるのはやはり嬉しい。
普段は無償の優しさを与えられ、あらゆることを教わってばかりだ。
そんな時は、自分はまだ子供で和希は大人だと痛感する。
啓太は適当に自分の知ってる流行歌を入れ、和希の前で歌うのはちょっと恥ずかしかったが、歌い始めた。転校する前は前の高校の友人達とよく遊びに行っていたのにBL学園に来てからは日常が慌ただしくてすっかりご無沙汰で、少しずつ曲数を重ねるごとに気分も乗って来る。
だが、しかし。
「和希! 俺見てないで、ちゃんと歌を選べってば!」
「いやぁ~カラオケ初めてだし、普段俺、音楽聴かないし、こんなに沢山歌があっても選べないもんだよな」
「あのな~…」
確かにその気持ちもわかるが、それでは困るのだ。
前奏の間に啓太は嘆息し見つめる。
すると和希は上機嫌で啓太に言ってのけた。
「何より歌う啓太見てた方が楽しいし♪」
「か~ず~き~っ」
握り締めたマイクをONにしていたので部屋中に啓太の声が響く。
「啓太、啓太」
いきなり和希が手招きしたので、歌が決まったのかと思い素直に和希の側まで行く。
「何?」
「お前さ、今後は俺以外の奴と二人きりでカラオケは止めろよ?」
「はぁ!? ……何で?」
突然何を言うかと思えば、どうしてそんな話題になるのだろうと啓太は首を傾げた。
和希はやれやれと肩を竦める。
その口端がかすかに上がった。
「わぁっ!?」
ぐい、と。
いきなり腕を強引に引かれ、抱き寄せられる。
次の瞬間には啓太はソファに押し倒されていた。
「……っ」
「密室で二人きりなんだから。こんなことされないとは限らないだろ?」
啓太にのしかかり和希が妖しく笑う。
「な?」
展開の早さに戸惑いつつも本能で逸る鼓動を啓太は無理矢理抑えた。
「な? じゃない! こんなことするのなんかお前くらいだってば!」
和希の腕の中でじたばたと抵抗する。
毎度のことながら、あまり意味がない。
実際さして身長差はないはずなのに、まだ発展途上な啓太の身体と比べると、和希は完成された大人の男の身体だ。
それに、和希に触れられると頭の中が真っ白になって何も考えられなくなる。
指を絡ませ、口づけを交わし、膚を重ねるたびに、より深く溺れていくのがわかる。
求めているのは自分も同じだから、本気で抗うことなんて不可能だ。
和希の全てを知ってしまった今ではもう。
「…啓太」
和希が顔を近づけ、耳元で囁いた。
吐息が耳を優しくくすぐる。
「……っ」
それだけで啓太は感じてしまい、抵抗できなくなった。
「~~っ!」
まともに和希を見ていられなくて啓太はぎゅっと両目をつぶる。
その間にも和希は、長い指先で啓太の前髪を梳くように撫で、頬や額にそっと唇を寄せた。
身体中が熱くなる。
啓太の中で段々何かが煽られていくのがわかる。
(だ、だめだよ俺!)
危なく流されかけたところで我に返る。
今日は目的があるのだ。
(大体…こんな所でどーしてこんなことになるんだよ!?)
意志を強く保たねば、経験値を積み過ぎている和希には勝てない。
啓太は自分に負けないよう何度も言い聞かせた。
「啓太…目開けて?」
優しい声が促す。
そっと目を開ける。
すぐ目の前には微笑む和希の優しい(けど悪戯っぽい)瞳があった。
啓太はすっかり煽られ潤んだ目で見つめ返す。
「可愛いよ、啓太」
普段よりも数倍甘い声で囁かれた。
「……っ」
こういうのは反則だといつも思う。
(急に大人の顔するなんて…ずるい)
このまま流されてしまいたい気に一瞬なりかけた自分が悔しい。
(だって仕方ないよな。俺だって和希のこと好き…なんだからさ)
しかしここは我慢、忍耐だと自身に強く言い聞かせ、啓太はおもむろに和希の腕の中から自らの両腕を抜きだした。
おそらく和希はこのまま啓太が自分の首に腕を回すと思っているのだろう。だから特に制止されることはなかった。
(……和希のスケベ)
啓太は両腕を伸ばし、そのまま頬に手を寄せる。
そして。
……ぎゅーっと頬をつねってやった。
「いたたたっ! け、啓太っ! いきなり何すんだよ!」
この雰囲気の中で、まさかいきなり啓太がこんなことをするとはさすがの和希も予測できなかったらしい。
和希が上体を起こした隙に啓太は和希の腕から抜け出し、少し乱された服を整える。
「何するんだーはこっちの台詞なんだけど?」
わざと低い声で言い返す。
「俺、さっき言ったよな? 和希が歌わないなら明日の朝まで口きかないって。…実行するけど、いい?」
「け、啓太、それは…」
和希は目線を逸らし頬をかく。困ったときのクセだ。
非難を込めた眼差しを向け啓太は畳み掛けるように続けた。
「そ・れ・か・ら! こんなトコでいきなり押し倒すなよな!」
「薄暗い密室に啓太と二人きりだぞ?」
「……お前な」
さも自分が正しいとでもいうような顔をしないで欲しいと啓太は思う。
「…カラオケやろうって誘ったのは和希だろ!? 何だよ、俺にばっかり歌わせて! 俺だって…和希の歌聞きたいのに!」
「啓太…」
ぷい、と頬を膨らませ顔を背ける。
当初の目的は和希の実年齢を知ることだったのだが、もう歌ってもらえればなんでもいいという気がした。
啓太だって和希の歌うとこを見てみたいのだ。自分ばかり見られるのは悔しいし、何よりずるい。
しかもいつものごとく仕掛けられて、身体は熱に煽られてしまったし。それもまた悔しい。
くすっとかすかに笑う声が聞こえた。
怒鳴り付けようと顔を上げたら、慈しむような眼差しで見つめられていて思わず言葉を飲み込む。
「……わかったよ、降参」
優しい声がそう言った。
両手を上げて「降参」を告げる和希。微笑みながら啓太へと腕を伸ばす。
邪な空気がないので、されるがまま啓太は抱き締められた。
片方の手が啓太の頭を撫でる。
(……やっぱりずるい。こんな風にされたら怒る気も失せちゃうよ)
和希に早く追い付きたい半面、どうしようもなく甘えたくなる。
「俺の歌なんて聞いても全然面白くないと思うけどなー」
「……それでも聞きたい」
くすくすと耳元で笑い声が聞こえる。
「わかったよ」
仕方ないなぁと呟きながら和希は啓太を引き寄せソファに座る。
膝に乗せられて啓太は慌てた。
「かっ、和希っ!?」
「んー? どうした?」
啓太とは対称的に和希は平然としていた。
さっき押し倒されたばかりだから、ある意味この体勢も危ないような気がする。
せめて膝の上から降りたいと思いじたばた動くのだが、背中から両腕を回され、しっかりと抱き締められてしまう。
更に、うなじに温かい吐息と柔らかい唇の感触。
「!」
ぴくんと瞬時に背中をのけ反らせてしまう。
「ちょ、ちょっ…!」
うろたえて振り返る啓太を、和希が妖しく見つめた。
情欲に濡れた瞳。
「……っ」
どくん、と心臓がはねる。
動けない。
くす。
そこで小さな笑い声。
「……?」
和希の雰囲気が変化した。
悪戯が成功した子供のように笑う。
「…続きは後でたっぷりやろうな?」
「かっ、和希!? お前、からかったな!」
「いや、あんまり啓太が可愛くてさ~つい」
「つい、じゃない!」
抱き抱えられたまま啓太は抗議の声を上げた。
すると和希は当然だという表情で、いけしゃあしゃあと返す。
「だって啓太…最初は別の目的で俺に歌わせるつもりだったろ?」
ぎくりとして、啓太はさっきとは違う意味で硬直した。
(ば、バレてる?)
その態度こそ肯定の証だ。
今の反応で認めたも同然なのだが啓太は気付かなかった。
和希は苦笑する。
「ま、大方…俺の年を割り出そうとでも考えてたのかなぁ、啓太クン?」
「……ぅ」
恐る恐る後ろを振り向くと、にやりと笑う和希の視線とぶつかった。
慌てて目を逸らす。
「…だって、和希が教えてくれないからだろ?」
拗ねたように呟く啓太を抱いたまま、和希はやれやれと嘆息して言った。
「そんなに知りたい?」
コクンと頷く啓太に、和希がある提案をする。
「じゃあ…今夜一晩啓太が眠らないで起きていられたら、教えてやるよ」
「え…っ!?」
いきなりの提案にすぐさま啓太は振り向いた。
その反応の早さが可笑しくて和希は笑う。
「ホントに!?」
「……あぁ」
長い指がクセのある啓太の前髪をかきあげた。
「約束だぞっ」
俄然やる気になってる啓太を見て和希は優しく微笑んだ。
「ただし…起きていられたら、だからな?」
「教えてもらえるなら俺頑張れるぞ! 今からコーヒーがぶ飲みしてやる! あと、は…そうだ。紅茶も効くんだっけ?」
目を輝かせて張り切る啓太を見て、和希の口端が上がる。
「ふぅん…じゃあ俺も頑張らなきゃな」
「へ……?」
啓太がきょとんとして、和希を見ると…なぜか楽しそうに笑っている。
「和希…お前、何をそんなに喜んでるんだよ」
嫌な予感がした。
何かを企んでいそうな、にこやかな笑顔に。
「ん、今夜が楽しみだなーって」
「だから、何で……」
「啓太は俺に一晩中付き合ってくれるんだよな?」
「え……?」
意味を図り兼ねている啓太の耳元に甘い吐息。
「今夜は一切手加減しないから…覚悟しろよ?」
そのまま頬に軽く口づけされた。
音が耳に響く。
「……っ!」
一瞬で身体中に熱が駆け巡る。
(今夜って…手加減って)
ぐるぐると和希の言葉が頭の中を回っていた。
意味がわかり、泣きそうな眼差しで和希を見つめる。
「和希っ、お前…!」
「いやー楽しみだなぁ。明日、学校も仕事も休みでよかったよ」
「~~っ!」
啓太は真っ赤になり、直視できずに俯いた。
(俺…早まった、かも?)
さっきまでは徹夜くらい楽勝だと思っていたが、今では果てしなく不可能な気がする。
「啓太ー……今からそんな期待してもらってて悪いんだけどさ……腕の中で可愛い反応してると俺今すぐ押し倒したくなるだろ?」
「なっ、ば…っ」
「んー?」
「ばかっ!」
一発殴ってやろうと拳を振り上げたが、呆気なく手首を掴まれてしまう。
「和…っ」
抗議の声は無理矢理重ねられた唇に塞がれた。
「んん…っ」
薄く開いた口の中へ熱い舌がするりと潜り込んでくる。
「はぁ…っ、んっ」
息が出来ない。
頭の中が真っ白になる。
何も考えられない。
好きという感情だけが己を占めていくから。
存分に堪能してから、和希は啓太を解放する。
はぁと息をつき力無くもたれ掛かる啓太の身体を優しく抱き締めた。
「ちょっと残念だけど……続きはまた今夜だな」
「……和希のばか」
耳まで真っ赤にした啓太が和希の腕の中で小さく呟く。
くすくすと笑い、片手で啓太の頭を撫でながら、もう片方の手でテーブルの上に無造作に広げていた分厚い本を引き寄せた。
「さてと、じゃあ啓太の為に歌わないとな」
「え、和希…?」
「お前だけ歌わせるのは確かに不公平だもんな」
優しく笑う和希の言葉が嬉しくて啓太はぎゅっとしがみついた。
もうこのままなおざりにされると思っていたから。
「でもなー……本当に何を歌えばいいかわからないんだよ」
「……なんでもいいよ」
「じゃあ選ぶの手伝って?」
「うん」
二人は並んで腰掛け本のページをめくる。
「最近の歌ってわかるのか?」
「啓太がさっき歌ってたのは聞いたことあるけど……ちゃんと聞いたことはないな」
「じゃあ王様みたいに美空ひ○りとかは?」
「……尚更知らないって」
「う~ん……カズ兄若い頃何か聞かなかったの?」
「……若い頃って……俺はまだ若いんだってば」
「あっ、えーと……そういう意味じゃなくて、学生の頃ってこと!」
「うーん……俺、アメリカに留学しただろ? だから当時の日本の歌って全然知らないんだよな。啓太がわかるような歌が思い付かない」
「俺が知らない歌でいいんだってば! 和希の好きな歌!」
こんな時でも啓太のことを優先する和希に、気持ちは嬉しいが頭が痛くなった。
「洋楽でもいいのか? 啓太、英語苦手だろ?」
「……っ、悪かったな! だからっ、英語だろうが日本語だろうがフランス語だろうがなんでもいいんだって!」
「そっか、それなら…」
呟いてパラパラと洋楽のページをめくっていく。
(何、歌うんだろう)
曲を見つけた和希が啓太に番号入力を頼んだ。
啓太は和希の指摘通り、英語が苦手だ。だから洋楽にはやはり疎い。
曲名を見てもわからなかった。
(あ……)
だが、流れてきたメロディはどこかで聞いたことがあるような気がした。
前奏が終わる。
画面には英文だけが並んでいた。
初めてだからもしかしたら少しだけ、ほんの少しくらいは緊張していたのかもしれない。
けれど歌い始めるといつも通りの和希で。
啓太なんか太刀打ち出来ない大人のポーカーフェイス。
(わ、すごい……!)
和希の口から、滑らかに異国の言葉が零れた。
スピーカーを通して部屋中に響く優しい声音に酔ってしまいそうだ。
(あ……もしかしてこれ)
何度か繰り返されるフレーズに啓太はそれが恋唄だと気付く。
どきどきした。
繰り返される同じフレーズ。その辛うじて聞き取れた言葉を反芻する。
(すていうぃずみー…?)
切なくて優しいメロディが想いを届けた。
(側に…いて?)
激しく胸が騒いで思わず顔を上げる。
(あ……)
和希は啓太を見て慈しむように微笑んでいた。
本当に優しく笑うから。
涙が出そうになる。
「……っ」
歌は静かに終わった。
「今のって……恋の歌?」
「お、少しは歌詞聞き取れたのか?」
「う……。ちょっとだけ…でも和希ってやっぱり発音いいよな…外人さんみたいだった」
その言葉に和希は吹き出す。英語が苦手な啓太らしい感想だ。
「人が褒めてやったのになんで笑うんだよっ」
「あはは……ごめんごめん!」
しばらく頬を膨らませていた啓太だが、やがて神妙な表情になる。
「……啓太?」
和希が顔を覗き込む前にぽすんと啓太が肩に頭を預けてきた。
そして尋ねる。
「…悲しい歌なのか?」
「うーん……そうだな……俺はそうでもないと思うけど?」
「…本当に?」
顔を上げた啓太に和希は優しく頷いてみせた。
「この歌が特別好きってわけじゃないんだけど……初めて聞いたときに啓太の顔が浮かんだ」
「……?」
きょとんとした啓太の頭を撫でてやる。
「まぁ歌詞は今度詳しく教えてやるよ。ただ……会いたいとか抱き締めたいとか守りたいとか……そういうニュアンスが俺の気持ちにシンクロしてさ。啓太のことを思い出すんだよ。今頃何してるのかな? 元気かな? 会いたいな~って。その頃は漠然としてて何でそこまで共感したのかよくわからなかったんだけど……啓太に再会してやっと理解できたよ」
和希の掌が啓太の手を包むように重ねられた。
「和…希?」
「あの頃から啓太に……いや、もうずっと前から恋してたんだな、俺」
「……っ」
重ねられた掌から伝わる熱。
見つめる和希の瞳の真摯さに、啓太の鼓動はいっそう高鳴った。
「和希のばか……お前……臆面なさすぎなんだよ」
「仕方ないだろ? 啓太のことがどうしようもなく好きで、愛おしくてたまらないんだから」
「だから、そーゆーっ」
言いかけて、和希の笑顔を見た啓太は呆れ顔で抗議の言葉を飲み込んだ。
「もぉ…いい」
ふぅと嘆息し、二人は再びキスを交わす。深く浅く何度も繰り返した。
キスの後に、啓太が一言呟く。
「和希の歌が聞けてよかった」
「ん?」
「俺、和希の歌……好き」
「……さんきゅ」
ほんの少しだけ照れたように和希が笑う。
啓太のその言葉は和希を調子づかせるのに充分な威力を持っていたのである。
「お! 啓太に遠藤……今帰りか?」
帰宅途中の二人は丹羽の大きな声に呼び止められた。
「王様…中嶋さんも」
学生会の二人が揃って、こんな早い時間に学園の外にいるなんて珍しいと啓太と和希は顔を見合わせる。
「今日は生徒会の仕事はないんですか?」
「これから仕事だ」
「え……?」
中嶋の言う意味がわからなくて首を傾げる啓太の頭を丹羽ががしがしと乱暴に撫でてから説明し始めた。
「これから体育部の奴らと打ち上げなんだよ」
「打ち上げ…ですか?」
「今後も励めよーという意味合いも兼ねてな。お、そうだ! 啓太、お前も来い!」
「えっ、俺ですか?」
「……王様……そうやってすぐに啓太を巻き込むの止めてくれませんか?」
「んだよ、クソ理事長」
「お、王様っ、こんな所でそれ言わないでくださいっ!」
「……啓太、気にしなくていいよ。誰も聞いてないからね」
余裕を見せ付けるようににっこりと啓太に笑顔を向けた和希を見て、丹羽が舌打ちする。
さすがにこの程度のことではびくともしないらしい。
「大体……体育部ってことは…」
「ハニー!」
和希の言葉に重なるように、新たな声が介入した。
「……この声は……」
嫌な予感は直後に現実となる。
「ハニーっ!」
「なっ、成瀬さん!?」
いきなり背後から来た成瀬に、すごい勢いで啓太は抱きつかれた。
「嬉しいな、こんな所で愛しいハニーと会えるなんて! これはもう運命だよね? 二人を繋ぐ赤い糸が…」
延々続きそうな成瀬節に毎度のことながら和希が介入する。
「はいはいはい、啓太から離れてください、成瀬さん。俺達はたまたま下校途中に王様に呼び止められて立ち話してただけですから!」
べたべたと啓太に触りまくる成瀬の手を外して、啓太の前に出てガードする。
「……相変わらずのお邪魔虫ぶりを発揮してくれるね、啓太のお友達の遠藤君は?」
お友達という部分を強調され和希の周囲の温度が一気に下がった。
「成瀬さんこそ、相変わらず強引ですね……啓太が困惑してるのがわからないんですか?」
「あ、あの……二人とも」
「それはまだハニーが僕の愛の全てを理解してないだけだよ。それもいずれわかりあえるさ。僕たちは愛し合う為に運命に導かれてこうして出会ったんだからね」
「……」
「あのっ、二人とも」
二人の間でおろおろとしていた啓太はいきなり背後から頭を掴まれ引きずられる。
「えっ、わぁっ」
大きな手。
「中嶋さんっ?」
ひんやりと冷たいその手は中嶋のものだった。
「アイツらのことは放っておけ、啓太。丹羽、さっさと行くぞ。遅れると篠宮がうるさい」
「あ、やべ…」
「でっ、でも…っ」
振り返ろうにも中嶋の手に頭が掴まれているので動かせない。そのまま引きずられるように歩かされる。
「おら、成瀬! テメェも早く来い!」
隣にいる丹羽が後方に向かって叫んだ。
「あ、啓太!?」
「ハニー!?」
丹羽の声で我に返った二人が慌てて啓太達を追ってくる。
これはもう諦めて付き合うしかないようだ。短く嘆息した啓太は改めて両隣を歩く丹羽と中嶋に尋ねた。
「ところで…打ち上げってどこでするんですか? 学園島の外ですよね?」
「あぁ、島を出て直ぐのカラオケBOXだ。滝に任せたらなぜかそうなっていた」
あまり乗り気でなさそうな中嶋に丹羽が返す。
「ま、いいじゃねぇか、たまにはよ」
「……丹羽、お前はいつも歌ってるだろうが」
冷ややかな中嶋の言葉に啓太も苦笑した。
確かに丹羽は大浴場でよく熱唱しているから。
「っせーな、って啓太! お前も笑ってんじゃねぇ」
軽く小突かれたので、笑いながら「すみません、王様」と返した。
やっと追い付いた成瀬が丹羽の横から熱く話し掛けてくる。
「ハニー! 君も来てくれるんだね! 嬉しいよ…今日は君の為に愛を込めて歌うから!」
「な、成瀬さん…」
相変わらずのテンションの高さに啓太は笑うしかなかった。
和希は憮然とした表情で啓太の斜め後ろを付いてくる。
「…和希、ごめん」
「なんで啓太が謝るんだよ」
「いや…だってさ」
言いかけた時に丹羽が介入してきた。
「テメェも来るよな?」
「……行きますよ」
ふぅと嘆息して和希が答える。
啓太は心配そうに小声で尋ねた。
「和希…今日仕事は?」
「大丈夫、午前中に片付けたから」
ぽんと啓太の頭を優しく撫でてやる。
啓太は「よかった」と呟いてホッとしたように笑った。
そこに再び丹羽が割り込む。
「ところで遠藤ー」
「なんですか、王様」
「参加するからにはテメェも歌えよな?」
「あの…王様?」
何かを含んだようなその丹羽の物言いに横にいた啓太の方が困惑した。
「……歌いますよ、ご心配なく」
和希はやれやれと肩を竦めて苦笑する。
(…あれ?)
二人のやり取りを見て、啓太ははっとした。
(もしかしたら王様…)
数日前に自分達がしたのとまったく同じような光景が繰り広げられたので思わず和希を見る。和希も丹羽の思惑にはとっくに気付いているらしく、啓太に苦笑しながら頷いて見せた。
「フン、ま、楽しみにしてっからな!」
ニッと企み顔の丹羽が一言小声で付け加える。
「…無理すんなよ、クソ理事長」
あからさまな丹羽の意図に、啓太は苦笑した。
「なんだ二人とも…いやに余裕じゃないか」
一部始終を見ていた中嶋が口を開く。
「いや、その、あはは…」
啓太はどうしていいのかわからず、笑ってごまかした。
(王様…びっくりするかもな)
数分後。
啓太の予想通りに、丹羽は目を丸くして呆然としていた。
「ふ、普通に歌ってやがる…」
「まったく違和感なしだな。……つまらん」
丹羽と中嶋のやり取りに啓太は苦笑する。
「なんでだ…最近の流行りの歌まで…難無く歌えるなんて」
「むしろ美空ひ○りオンリーのお前の方が浮いてるな、丹羽」
「っせーぞ、ヒデ! って啓太ぁ!」
「は、はいっ!」
がしっと両肩を掴まれ小声で叫ばれる。
「アイツ一体いくつなんだよ!?」
「……それは俺の方が知りたいです」
「…っ、チクショー!」
悔しげに叫んだ丹羽はやけ酒ならぬやけ烏龍茶。その隣で中嶋が嘆息する。
「啓太ーどうだった?」
歌い終えた和希が状況を知ってか知らずかにこやかに尋ねてきた。
「よかったよ、俺もあの歌すごく好き」
「……だろうと思った」
横に腰掛け微笑む和希を思わず小突く。
「……ばか」
和希はくすくすと笑いながら本を手に取った。
「次、何歌おうかなー? あ、そうだ、啓太~コレ一緒に歌おうぜ?」
「えっ、どれ?」
がたんっ。
「ほら次だぞ、丹羽」
「わーってるよ!」
二人の会話をよそに、中嶋に言われた丹羽が怒りのオーラを纏いながら立ち上がる。
力強くマイクを手に取り歌うは――ひ○り。
毎日の大浴場にてもう聞き慣れたそのメロディ、そのフレーズをバックに各々好き放題過ごしている。まともに聞いてるのは篠宮くらいだろうか。
「聞けよ、テメェら!」
丹羽の悲痛な叫びがマイクを通して部屋中に延々とこだましたのだった。
(ごめんなさい、王様)
事の顛末を予想していた啓太は心の中で小さく丹羽へと謝罪する。
啓太とカラオケに行って以来、和希は音楽に少し聡くなった。
仕事の合間にも啓太のオススメを初め、最新の流行歌まで聴いているらしく、今では啓太より詳しいかもしれない。
再度二人でカラオケに行ったとき今のように普通に、周囲の同級生らと何等違和感なく歌って見せたから啓太はかなり驚いた。
……そしてまた、和希の年齢が更に輪をかけわからなくなってしまったから困る。
「和希、そういえば今日は洋楽歌わないのか?」
「んー…王様達だけならまだしも成瀬さん達もいるからな。やめとく」
「そっかー…そうだな」
あまりに流暢な英語だから、事情を知らない人間だと驚くかもしれない。
「何? 洋楽歌ってほしかった?」
「んー…だって俺…英語苦手だからさ、尚更その…羨ましいというか…えっと…」
「惚れ直す?」
「ば…っ」
啓太は反論できずに真っ赤になって俯いた。
普段と違う一面を見て、カッコいいなと思っていたのは図星だったから。
くすくすと笑いながら、和希が小声で囁いた。
「啓太が望むなら二人きりの時にいくらでも歌ってやるよ」
「……和希」
「だからまた二人きりで行こうな?」
「…うんっ」
延々続くひ○りの中、どこまでも甘い二人。
「俺の歌を聞けーっ!」
丹羽の熱唱は更に続く。