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innocent ―無垢―

 時を経ても変わらない。
 あの頃と同じ、無垢な瞳が。
 俺を捕らえて放さない。
 昔も今も、そしてこれからも……きっと永遠に。


「…き…ずき!」
 誰かが呼んでる。
 この声は、誰?
「うぉいっ、和希っ!」
 突然、目の前に現れた彼に俺は驚く。
「わぁっ」
「うわっ!」
 彼、啓太も奇声を発した俺に驚いたらしい。
 大きな目をいっそう丸くしていた。
 出会った頃と少しも変わらない、曇りのない透明な瞳。
 俺の、一番大切な存在。
「ど……どうしたんだ、啓太?」
「……いや、それは俺の台詞だから」
 呆れたように俺を見つめ嘆息し、啓太が向かいの席に座る。
 いつの間にか授業は終わっていたらしい。
 昼休みの教室、生徒達が各々楽しげに過ごしている。
「食堂行こうと思って声かけたのにボーっとしてるし……もしかして具合でも悪いのか?」
 心配そうに見つめてくる啓太に、俺は首を振った。
「何でもないよ。ごめんな、声かけてくれたのに気づかなくて」
「……それはいいんだけど、お前本当に平気か?」
 先に謝られて言葉を濁し俺の顔色を窺う啓太に苦笑する。
「何だよ、啓太は心配性だな」
 軽口を叩いてごまかす。
「またそーやってはぐらかす……」
 啓太は少しむくれたように頬を膨らませた。
「はぐらかしてなんかいないって」
 俺は口元が緩むのを止められなかった。
 優しい気持ちになって、自然と微笑んでしまう。
 少し前なら考えられないこんな日常が、俺は素直に嬉しかった。
(お前が側にいるだけで、些細なことが幸せに思えるんだ)
 幼い日、それはとても短い時間だったけれど……幸せだったあの頃。
 泣きじゃくりながら必死に俺にしがみついていた、小さな手。
 手放したときは胸が軋んだ。
 でも、誓ったから。
 何者にも負けない力を手にして、俺の全てで啓太を守るために。
「和希……お前、やっぱり具合悪いだろ」
「そんなことないって」
 苦笑する俺に、呆れながら啓太が手を伸ばした。
 今ではすっかり大きくなった手が、俺の前髪をかき上げて。
(え……)
 目を閉じた啓太が自らの額をそっと俺の額に当てる。
「!」
 突然の出来事に息を呑んだ。
「うん……熱はないみたいだな」
 目を閉じたまま呟く啓太を、思わず凝視する。
 何て近い。
 キスできるほどの距離。
 必死に衝動を抑えた。
 無防備すぎる啓太に内心嘆息する。
(だからお前は隙だらけなんだってあれほど言ってるのに……)
 俺には保護欲と同じくらいどす黒い欲望が常に渦巻いている。
 何者からも守りたい、いつも笑っていてほしい。
 側にいるだけでこんなに幸せなのに。
(お前のことが欲しいんだよ、啓太)
 いっそ何もかも打ち明けてしまえたら。
 けれど、出来ない。
 大人になって、あの頃にはない力を手に入れたはずなのに。
 怖れが、いつもこの胸にはあるから。
「あんまり無理するなよ」
 熱がないことに少し安堵したのか、啓太がふわりと笑った。
「いつも和希が俺の力になってくれるみたいに、俺だって和希の力になりたいって思ってるんだからな」
「啓太……」
 胸が熱い。
 俺の腕の中でわぁわぁ泣きじゃくっていた小さな子供。
 それが今こんなに大きくなって、泣きたくなるほど嬉しい言葉をくれる。
「ありがとう」
 素直にそう言った俺に、啓太は少し照れたように頬を染めた。
「ばっ、ばかっ! 真顔でそんな……礼なんか言われたら、俺の方が恥ずかしいだろっ」
「あははー……啓太は本当に可愛いなー」
「……っ! お前はまたそうやって俺で遊ぶっ!」
「仕方ないだろ、啓太が本当に可愛いんだから」
「かーずーきーっ」
「ほら、早く食堂行こうぜ。いい加減お腹空いてきたし」
「ったく、お前なぁ……」
 ぶつぶつと文句を言う啓太の手を俺は掴んで駆け出す。
(お前のことは俺が守るから)
 大きくなった今も尚、変わらない澄んだ瞳。
 その目に哀しみを映さないように。俺自身も決して汚さぬように。
(ずっとずっと……守るから)
 だからどうか笑っていて。
 俺の側で。
 いつまでも。


end.